エリオットは目を開いた。
彼は眼下に、煌めく街の灯りを見た。
彼は、半ば透き通った雲の上に立っていた。
冷たく強い風が、少年の青い髪をなびかせて吹き過ぎる。
「エリオット!」
聞き慣れた声。
エリオットは目を上げて、正面に見える塔を見つめた。
シーズタワー。
彼は理解した。足下に広がるのは、現実の彼の住まう街。
塔の頂にイデアパレスがある。ナイツはそこから呼びかけている。
エリオットは、ふわふわした雲を踏みしめて、ナイツのもとに駆けだした。
あとわずかで〈彼〉に届こうという時。ほとんど透き通った、異様な影が少年の前に立ちふさがった。
次の瞬間。
影の密度と存在感が一気に濃さを増し、少年の身体は虚空へとはじきとばされた。
「うわあぁぁぁ!?」
「エ…エリオット!!」
「エリオット―――――!!」
ナイツは見えない壁――イデアパレスの結界を叩きながら叫んだ。
少年の身体はくるくる回りながら、木の葉のように吹き飛ばされていく。
『その結界は、赤い光(レッドイデア)の力でも破れぬ』
ワイズマンの〈影〉は感情のない声でイデアパレスの虜囚にそう告げた。
「ワイズマン…!」
『今度こそ……二度とは外に出さん……!』
ナイツは結界を殴りつけた。何度も、何度も。拳に耐え難い痛みが走るまで、震えさえしない強固な壁を殴り続けた。
「……………!」
両の拳を結界に叩きつけ、額を押しつけて、そのままナイツは膝をついた。
「自由」であればよかった。
他には何も、いらなかった。
ナイツは結界の中で、膝を抱えて目を閉じた。
もう何も見たくない。何も聞きたくない。
勇気のイデアを持つビジターでも、もう自分をここから出すことはできない。
彼らだけでワイズマンと戦うことはできない。
もう……どうすることも、できない。
ワイズマンの野望なんて知ったことじゃなかった。
慕い寄ってくるナイトピアンたちも………ただ……
好きにしていられさえすればいいと………
寒かった。
どんなに膝を縮めても、肩を抱きしめても。
身体の奥深くから、しんしんとした冷たさが広がっていく。
いや、寒さじゃない。
これは「絶望」だ。そして―――孤独。
淋しい――――?
悪夢界を飛び出した後も、楽夢界でひとりいたときも、永い永い封印の中にある間も、それは今まで一度も感じたことなどない感情だった。
何故―――
何故こんなにも、淋しくて辛いのだろう。
逃げ出せない絶望よりも、孤独の方が………深い…………
寒い…………寒いよ……………
「ナイツ!!」
叫び声とともに、結界がかすかに揺らぐ。
ナイツはぼんやりと、顔を上げた。
イデアパレスから少し離れたところ。
五つのイデアをまとったエリオットが、二重に張られた結界をたたいていた。
「ナイツ!!ナイツーッッ!!」
何故?
「ナイツ!聞こえる?ナイツっ!!」
エリオットは呼びかけ続ける。少年の拳が、激しく結界を叩く。
ナイツは呆然と、その様を見た。
赤い光(レッドイデア)でも破れない―――お前も知っているはずじゃないか。
それなのに、何故?
何故………そうまでして……………
「ナイツ!………ちくしょう、ここまで来たのに!!」
エリオットは悔し涙をにじませて、見えない壁を殴った。
諦めない……………諦めるもんか!!だけど…だけど!!
「エリオット!!」
もう一つの叫び声。
振り向いた少年の目に、彼と同様に五つの光の珠をまとった赤毛の少女が映る。
「エリオット、もう一度……二人でなら、きっと!!」
「君は………クラリス!?」
少女は頷いて、エリオットの手をとった。
エリオットも頷きかえし、二人はその手を、重ね合わせるように結界についた。
次の瞬間―――――
ナイツの目の前で、結界は大きくたわみ、そして微塵に砕け散った。
「ナイツ!」
「ナイツ、だいじょうぶ!?」
「お……おまえら………マジかよ!?」
あっけにとられるナイツのもとに、二人の人間は満面の笑みとともに舞い降りた。
「無事みたいだね」
「よかった…よかったわ、本当に!」
両側から〈彼〉を抱きしめるようにして二人は口々に言う。心の底からの笑みとともに。
あたたかい……
身体の芯に巣くった冷たさが、溶けるように消えていく。
人間―――脆弱でありながら、最も強い〈想い〉を持ちうる存在。
未来を信じ、紡ごうとする力。
その想いを支える、絆。
そして……………。
ああ――――そうか。
そうだったんだ。
「なごんじまうのは、まだ早いぜ」
ナイツはいつもの不敵な笑みを浮かべて、拳を突き上げて見せた。
「これから、ワイズマンをブチのめしに行くんだからな!!」
〈Fin〉